フィクションと劇場型犯罪の世界

アメコミの中では唯一劇場型犯罪を取り扱っていると言っていい

 一見アメコミのヒーローものであると、劇場型犯罪といったものとは無縁の印象を受けるかもしれないが、本作ダークナイトに関して言えば、そうではないといえるだろう。これは、バットマン実写映画版第6作にして、前作『バットマン ビギンズ』から再スタートした「ダークナイト(Dark Knight)三部作」の第2作目にあたる作品だ。 前作に続き監督はクリストファー・ノーランが、主演はクリスチャン・ベール、更にジョーカー役にはヒース・レジャーが起用された。惜しくも、ヒース・レジャーは本作が遺作となってしまった。非常に高い演技力でジョーカーを魅せつけてくれたのだが、これに関しては非常に残念だと言わざるを得ない。

シリアスな作風の本作

 前作のバットマン・ビギンズに続き、コミックス版シリーズの連作『バットマン:ダークナイト・リターンズ』から継承されるシリアスな作風である本作は、そのタイトルからは主人公であるバットマンの名が外されており、原題も『The Dark Knight』である。映画ロゴなどでは本作がバットマンシリーズである事が強調されているが、そのことからも通常の作品とは少し違ったものとなっていることが窺えるだろう。今作の主な悪役は、原作シリーズで最凶の敵と言われるジョーカーと、トゥーフェイス。公開時のポスターはバットマンではなくジョーカーだけが描かれており、ジョーカーの存在をクローズアップさせている。ノーランは、本作は「ブルース・ウェインの挫折と敗北の物語」だと発言しているが、ジョーカーによって少しずつハービー・デントが陥落させられ、己の正義に対して疑いを持ち始めるブルースウェインとの対比は非常によく描かれていたと思った。

 更に、本作でのジョーカーも一味ちがう魅力を醸し出していた。白昼堂々とマフィア傘下の銀行で強盗をやってのけたりという大胆さは勿論のこと、警察や市民などを翻弄し、劇場型犯罪かつ明白な愉快犯であることがありありとわかるような態度で、バットマンを精神的にも肉体的に追い詰めていく上、その奇策は異常なほどの頭の冴えを感じさせるものだった。

 実際に作品の評価は高く、興行的にも世界的に成功を収め、後に「ダークナイト三部作」の完結編として『ダークナイト ライジング』が製作されるまでとなったが、ヒース・レジャーが亡くなってしまったこともあってか、こちらの作品に関しては若干何かが足りないと思わせるのには十分過ぎるほどのものとなってしまった。

あらすじ

 ゴッサム・シティにバットマンが現れて9ヶ月。口の裂けた顔にピエロのようなメイクを施したジョーカーと名乗る正体不明の犯罪者が現れた。神出鬼没のその男は、その日も白昼堂々とマフィア傘下の銀行で強盗をやってのけると姿をくらました。

 一方、バットマンことブルース・ウェインは、ゴッサム市警のジム・ゴードン、「光の騎士」とあだ名される新任の地方検事ハービー・デントと協力し、放射線で印をつけた紙幣を用いてマフィアの資金洗浄を一斉に摘発するという大胆な手段にうってでる。内通者の存在により一時失敗も危ぶまれたが、三人の尽力で最終的に作戦は成功し、マフィアは資金源を断たれRICO法の適用によってボスたちを除くそのほとんどが投獄されることとなった。

 ハービーの正義の信念が本物であることを感じたブルースは、自分と違って素顔を晒し、法に則って堂々と悪と戦う彼こそが、ゴッサムの求める真のヒーローであると確信し、バットマンを引退しようと考え始める。幼馴染であるレイチェル・ドーズに未だ想いを寄せるブルースは、自分がバットマンでなくなる日こそ彼女と結ばれる時であると信じていたが、レイチェルの気持ちはブルースと現恋人であるハービーとの間で揺れ動いていた。

 追い詰められたマフィアたちは、突如現れたジョーカーの「全資産の半分を条件にバットマンを殺害する」という提案をついに受け入れることを決定する。警官や市民を次々と殺害し、劇場型犯罪や予想のできない残酷な奇策でバットマンを心理的に追い詰めていく愉快犯としてふるまうジョーカー。バットマンを自分と同じ狂人だと語り、その信念を気休めに過ぎないと笑い飛ばすジョーカーは「心から人間を自分の様にする」ため犯罪をゴッサム・シティで続ける。

ジョーカーとバットマン

 勿論正義を信じるバットマンにとっては「正義」の存在そのものを疑わせようとするジョーカーはまさに天敵であり、悪魔そのものである。

 事実、彼の度重なる脅迫によってバッドマンは心理的に極限まで追い詰められ、幾度と無く苦戦を強いられるが、しかし、ラストバトル中で、彼はゴッサムの人々が正義の心によって自ら死を選ぶ瞬間を目撃してしまう。極限状態においても揺るがない善の心を見せつけられた彼は激しく動揺し、その隙を突かれてバットマンに敗北している。なおこの際、ジョーカーはバットマンに「俺はあんたを殺さない。こんな面白いおもちゃ他には無いからな。あんたも、そのつまらない独りよがりの正義という奴のせいで、俺を殺せない。どうやら俺とあんたは永遠に戦う運命だ」と言い残しているのだが、実際に彼はジョーカーを殺さず、逮捕させて終わっている。

実はバットマンは悪を殺している?

 本作の影響もあってか、バットマンは悪を殺さず、逮捕するイメージが非常に強くなっているが、実際の所、バットマンシリーズの第一作目や二作目などを見てみるとわかるように、かなり悪役を大量に殺していることがわかる。特に1作品目などだと、分かりやすいのが中盤あたりでのアクシス科学とかいう工場への襲撃シーンで、このシーンにおいては、バットマンはバットモービルを遠隔操作し、工場の中にいるジョーカーの手下たちを爆弾で皆殺しにしているし、二作品目などだと、火を吐くサーカス男を丸焼きにしたり、爆弾魔に対して、「腹に時限爆弾を巻きつけたまま下水道に突き落とし爆死させる」といった残虐行為を行っている。

 勿論、本作ではこういった葛藤があることが一種の面白いところなのではあるのだが、急に悪を殺さないというイメージがついて回るところには少々面食らってしまうところがあった気がする。

フィクションとしての劇場型犯罪としても悪役としても

 特にジョーカーの様々な犯行は、フィクションだからというのもあるが非常に楽しめる仕上がりになっている。演技力がずば抜けているのもあるが、一つ一つの犯行に対する異質な信念というものが、視聴者の背中をブルブルと震わせるような力があるものだったといえよう。

 またジョーカーを演じたのはこの作品の完成後、睡眠薬の大量服用によって急逝したヒース・レジャーである。この作品で彼はアカデミー助演男優賞、ゴールデングローブ賞 助演男優賞、英国アカデミー賞 助演男優賞など主要映画賞を総なめにした。故人のアカデミー賞受賞は、ピーター・フィンチ以来32年ぶり2例目となる。また、同助演男優賞の中では史上4番目(28歳と324日)の若さでの受賞となった。

なお、生前ヒースはこのジョーカー役を完成させるため、一か月間ホテルの一室に閉じこもって役作りを行っており、今もなおファンの間ではこの狂気の役作りによる「役への没入」が彼を死に追いやったという説が公然と述べられている。確かに、これまでのどのジョーカーよりも狂気と恐怖に対して忠実でありながらも、非常に知的であり、ただの間抜けな噛ませ犬な悪役とは一線を画するレベルの演技だったといえよう。

様々な劇場型犯罪フィクション

 さて、これまでに様々な劇場型犯罪を取り扱ったフィクション作品について紹介してきたわけだが、勿論これらを現実でやれば明らかに犯罪であるし、現実で引き起こっている事件自体をあからさまに楽しんだりすれば、人間性を疑われるであろう。しかし、こうしたフィクションの中から見つめなおすとそうした犯罪の中には、悪役の中には、非常にある種の怪しい魅力を持ったものも多数存在している。勿論、こうしたものまで、不謹慎であるとひとくくりにしてしまうことは簡単だが、今一度、社会を見つめなおすためでも、単に娯楽として楽しむでもいいので、これらの劇場型犯罪について、見て、感じ、そして、考えてみるのはいかがだろうか?